しんどくても、とにかく何か表現するしかない

生活費の引き落としに充てている口座の残高が100万円を切った。とはいえ、叔母から振り込まれたお金なので自分で稼いで生活しているわけではない。作品をつくることと食いぶちが一体になっていない私は、今これを表現しないと死んでしまうといった危機感は微塵もなくて、だらだらと毎日が夏休みのような日々を送っている。だらだら過ごすと言っても一応一人暮らしなので、食べる物は自分で用意しなければならないし洗濯しないと着るものもないし、風呂はキャンセルしがちだが外出するときはそれなりに小綺麗にして…というように、最低限暮らすようにはしている。実家や祖母の家で過ごしていた頃は家事なんてほとんどやらなかったので、なんとか暮らしを回せているだけでも合格点だと思っていたが、学生という身分を全うするだけの働きをしているかと言われると正直怪しい。

学生としてやるべきことといえば研究である。人生のこの時期にこの大学院のこの研究室に所属してこういうことを考えていた、という痕跡を少しでも残すことが自分にとっては布石になるのだろうし、自分の研究が建築学という学問に新しい知識なり視点なりを与えるものであるべきだ。本当はきっと、家事なんて適当に済ませて研究に没頭していなければならないのだ。

研究と一口に言っても、そのゴールは論文執筆であったり作品制作であったり様々である。どんなフォーマットを取るにしろ共通しているのは、表現しなければならないということである。だから研究に没頭しなければならないというのは、同時に表現する訓練をしなければならないということだと思う。でも困ったことに今の私には何かを表現したいという強い気持ちがどこにもないのだ。作家として失格である。そもそも作家になるのかという問いは置いておいて、社会生活を送るためには誰しも、自分が考えていることをうまく相手に伝えなければならないのだから、その際必要となる言葉、絵、図、表情などの全てが表現であり、表現すること抜きには生きてゆけないはずである。では表現したい気持ちがないのになぜ私は生きていけているのか、それは、表現しなくても通じ合えると思い込んでいるからだ。

例えば、気を使わなくて良いのと表現しなくていいことは別物なのに、恋人とのコミュニケーションをなおざりにしていた。恋人が私の実家をストリートビューで見ようとしたとき、私にとって実家を見せるのは恥晒しであったので、純粋に私のことをもっと知りたいと思っての行為とはわかっていながら、無視を決め込んでしまった。自分が伝えたいことを言葉にもしないくせに不機嫌になるなんて、とんだモラハラムーブである。恋人が指摘してくれるまで、まだ踏み込まれたくない領域に土足で踏み込まれたと思っていたが、そもそもまだ踏み込まれたくない領域なのだと説明しなければわからないのだから、私が不十分だったと反省している。というように、心を通わせたい相手とうまく話ができなかった、ということは、何かを表現したい気持ちがないのではなく、どう表現すれば良いのか考えられていない、ということを示しているかもしれない。

どう表現するかを訓練していくには、とにかく何か表現するしかないのだと思う。このブログを始めたときも、文章を書く訓練としてコンスタントに更新していけたら良いと、恋人と話していたし、今もそう思う。のほほんとした2人の日常も、今勉強していることも、何か作品を見て感じたことも、この世界への怒りも、とにかくなんでも良いから自分から絞り出した言葉を、広すぎるインターネットの片隅のブログという小さいお部屋に繋ぎ止めておくことが今の自分たちに必要な行為であると直感的にわかった。とにかく書くのだと思っていた。でも悲しいかな全然書けなかったのである。

恋人は私とは正反対の性格で、真面目で、筋が通っていて、自分も他者も正しく評価しようとするし、ちゃんとプライドがあって、大人だなと思う。表現しなければならない、書かなければならない、と私に言い続けてくれるし、それは体力のいる仕事だと思う。恋人との日々は刺激的で幸せに溢れていて、私も写真や文章で記録していきたいと思うし、そうして記録が溜まっていくのは嬉しいことなのだ、書きたくないと勘違いされては困る。でも自分の言葉で書くこと、書いたものを同じく表現者として身を立てていくであろう恋人と共有することのハードルが高かった。大学院に入ってから、自分の作ったものを下手に人に見せられないという気持ちがどんどん膨れ上がり、ゼミでもあまり発表せず、発表しないから準備も疎かになり…悪循環にはまっている気がしてならない。書けないのは喫緊の課題であるし、どうにかして書ける題材を探してくるしかない。

あれこれ考え、こうなったら今までずっと蓋をしてきた、常識や論理で語ることのできない、私が私の視点で語ることでしか意味をなさないような題材を選ぶ必要があると思った。(どんな題材であっても私が語ることに意味を見出せなければならないのは承知の上で)。私が書かなければ、どこにも拾ってもらえず、存在しなかったことになるようなものなら、使命感を持って言葉にすることができるのではないかと思った。今まで、どんなに気を許した人にも語れなかったその題材は、私の実家についてである。

にほんブログ村 セクマイ・嗜好ブログ 同性愛・ビアン(ノンアダルト)へ にほんブログ村 ライフスタイルブログへ PVアクセスランキング にほんブログ村

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です