さつきです
ブログの右下に古いwindows風のホームページがありますが工事中でして、今後自分たちそれぞれの制作物などを陳列したり買えるようにしていきたいなと思っておりますので覗いてみてください💻
古いインターネットといえば、
はじめてインターネットで自分のセクシャリティを検索したのは十二年前のことです。中学から高校へ進学したのを機にiPhone5を買ってもらい、そこでやっと自由にプライベートな探求ができるようになったのでよく覚えています。

そして、そこで最初に開いたのがとあるビアンカップルのブログであり、たどり着いたのがブログ村です。
かれこれ十年以上前の話ですが、その頃見てたブログが今でもつづいており、それはつまりカップルもつづいているということで、すごいなと思いつつ、現在こうして読者だった私が文章を寄せているのもまた可笑しみがあります。
異世界に迷い込んだ十代
その当時、だんだんと自分だけ違う方向性に向かっている感覚がありました。
女性が与えられるもの何もかもが性的な含みを持っているようで、体中がじっとり不快感を感じていました。例えば、毎月來る生理によって体調やメンタルや成績さえ支配されることはどうしようもなくハンデだし、それは全部生殖のためという事実があまりに耐えがたかったです。胸も脂肪がつきやすい身体もあらゆる能力の限界も全部が制御できない「性」という側面に回収されるのが悔しかったです。
もっと許せなかったのは、女性たちがこの性的な側面を異性を惹きつけるために強調しだしたことです。周囲のみんなが含み笑いをたたえ、与えられた役を演じるのが生来の悦びであるかのような奇妙な世界です。
そして、どうやら私はその男女間の密約から疎外されているということがわかってきました。日増しに社会に対して疑わしさが募り、家族すら胡散臭く思えて、ずっと何かにつけイライラしていました。
普通っぽい暮らし
同性愛カテゴリに行き当たったのだから恋愛していたのかという話ですが、まぁ…独り片思いしていました。私は水泳部で、めちゃめちゃ速くてバリバリに優秀な部活の先輩が好きでした。
それは置いておいて…
自分の性的指向について特に葛藤することはないけれど、それに“レズ”とか“ビアン”という名前が付くのがずっと嫌で、その名前が聞こえると苦々しい気持ちになりました。
意を決して“同性 恋愛 レズビアン”と検索したとき、どんなピンクな同人サイトが出てくるかとドキドキしましたが、果たしてそこには普通のフウフの日常が綴られていました。ささやかな日常を繰りながら、しかしよく読むと、この日常は普通の日常というより普通っぽい日常なんだと思いました。
つまり、生殖本能とか社会的環境要因とかに依存せず、自分らの意志で一緒にいることを選択した個人と個人という違和感が“っぽさ”を醸すのです。
むしろ、この“普通っぽい”方がよっぽどリアリティがあると思うのは私だけでしょうか?よっぽど 憧れる生き方だと思います。個人的に…
ともかく、当時いわゆる普通の日常に懐疑的だった私の目には彼女らが本来的に映りました。
母への報告、個人主義
その後、SNSコミュニティに入ったり、何人かの当事者と実際に出会ったり、たくさんの映画や芸術作品に触れたり、時代自体が変わったことで、“レズビアン”という称号への違和感と自己の認識の異物感は薄れていきました。
そして、先月卒業祝いで母と食事をした折に、こづえと交際していることを話しました。母は若干困惑してましたが、幸せでいられればそれでいいと言っていました。それにつづけて、「結婚してもしなくても一人であることに変わりはない」とも。


今日、5/3の朝日新聞の天声人語にこのような記述がありました。

これでいうと、私たちの方針は個人主義なのだと思います。
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さて、このブログもはじめてセクシャリティを検索した人に読まれることになるのでしょうか。いや、この頃はYoutubeやツイッター(X)が主流なのか?笑
こんな人間もいるんだ、ふ~ん…と思ってもらえればと思います。
ともにこの世の中を強い意志で生きましょう
さつき



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